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【摂理ニュース】鄭明析総裁関連報道に関する訂正報道文

本放送は、過去2014年5月22日から7月26日までの間に放送された内容のうち、
「JMSの鄭明析総裁が女性信徒に性的暴行をして外国に逃亡したが、中国公安に捕まり送還された」
「密航した」
「女性信徒たちから性接待を受けた」
という趣旨の言及をしたことがありました。

しかし、確認の結果、鄭総裁の性的暴行容疑は検察で嫌疑なしとして処分されたものであり、鄭総裁は、当時の通常の海外日程を消化した上、複数回入国し、検察の取り調べを受けたため、関連報道は事実と異なり、性接待疑惑も嫌疑なしと処分されましたので、該当報道を訂正します。
また、「JMS」の称号は、宣教会の公式名称ではないことが確認されましたので、「キリスト教福音宣教会」に訂正します。 

記事原文 : http://ytn.co.kr/_ln/0103_201503161004314232
 
鄭明析牧師 「私の師はひたすらイエス様」
<若い頃から、ひたすらイエス様の愛を実践してこられたチョン・ミョンソク先生>

鄭明析(チョン・ミョンソク)先生の修道生活時代のエピソード4
〜精神がおかしくなった人を連れてきて世話をした。

あるとき、鄭明析(チョン・ミョンソク)先生実家に帰ってきたときに、先生の弟は母に「あなたはその部屋に入るな」と言わた。

1ヶ月ぶりに先生に挨拶しなければと思ったのに、先生の部屋に入るなといわれたのでどうしたのかと思った。

先生の弟が障子につばをつけて見ると、先生がプラスチックのたらいのなかで、ある人を洗っていた。髪の長い人だった。


どうしてお兄さんが女の人を連れてきたのか?

結婚する人なら、ある意味自分の、義理のお姉さんの裸を見たということになってしまう。

確認しようとノックすると、先生に「入ってきなさい」といわれた。

すると先ほど確かに長い髪の毛だった人が、髪の毛を切って髪が短くなっていた。先生が路傍伝道の最中に、テドゥン山のふもとで伝道して、連れてきた男の人だった。


その人はどうみても精神的に変な人だった。

そのあと、先生の家族がその人と一緒に食事をすることになった。

村人にどう思われるかなどは、先生は考えなかった。

聖書でイエス様が当時まるで人間扱いを受けなかった人たち、遊女や、罪びとと言われている人たちと友達になったように、先生も同じようにした。

精神がおかしくなった人でも、先生は同じ人として接した。





 
ベトナム戦争派兵時代の若き鄭明析先生
<若き日、ベトナム戦争時代のチョン・ミョンソク先生> 



ベトナム戦争時代のエピソード〜誘惑に陥らなかった先生〜



鄭明析(チョン・ミョンソク)先生が2度派兵されたベトナム戦争では、軍隊が軍人たちに覇気を与えるために、売春婦を送って性的な関係を持つことを許していた。


多くの戦友たちが娼婦村に行く中、チョン・ミョンソク先生は決してそこへ行くことはなかったし、誘惑に陥ることはなかった。その度に先生はいつも内務番の勤めをしたのだった。

またあるときは、戦場に慰問公演に来た女性歌手が先生を誘惑したこともあった。
女性歌手は、公演を終えて、誰もいない幕舎で一人で留守番をしている先生のところに近づいてきた。先生は軍用ベッドでうつ伏せになって聖書を読んでいたときだった。

女性歌手は、戦場でも聖書を熱心に読んでいた先生に好感を示して、ひたすら誘惑してきたが、先生はその場できっぱりと断った。その女の人は先生に馬鹿だと言ったが、先生はイエス様だけをひたすら愛していたので、見向きもせずに、むしろその女の人に「ただ主だけを愛して生きてください」と言った。

その女の人が先生に愛を許諾しても、先生がただ主だけを愛するから絶対に誘惑に陥らなかったのだ。

チョン・ミョンソク先生は今もただひたすら神様、ひたすら御子イエス様を愛し抜いて、全世界の異性的な罪の問題、娼婦村と売春街の撤廃のために全世界的に祈っていらっしゃる。


 

摂理の聖地 ウォルミョンドン自然聖殿の岩
<摂理の聖地 ウォルミョンドン自然聖殿の勇壮な岩 どの岩も天との深いいきさつがある>
 

摂理だけの行事、花の祝祭、岩の祝祭について 2



摂理の行事、「岩の祝祭」は、ウォルミョンドン自然聖殿で2011年より毎年秋に行われるようになった。

チョン・ミョンソク先生が写真や文章を通して細部まで真心を込めて行事について指示をされ、

その行事に祈りをもって参加した摂理の人々が、

天の愛のいきさつを作り、聖三位の愛に感謝感激して生きることができるようにと、自然聖殿ならではの新しい次元の神様の行事を企画してくださった。

「岩」はもとの土の状態から固体となり、岩となるまで数十万年もかけて神様が創造してくださった、人間が決して作りえない「宝石」であることの価値を悟って、

その岩のなかでも尊く美しい岩々、数々の岩々のすべてにおいて、

聖地の祈りの主人である先生とのいきさつを置いて、神様が備えてくださった意味を悟り、

自然そのままのウォルミョンドン自然聖殿のならではこその、創造主の愛を悟り、感謝感激する祝祭として開催されるようになった。

それぞれの「岩宝石」の姿かたちの神秘性とともに、それぞれの岩を掘り出し、見つけ出し、与えられるにいたったいきさつも、

すべてが神様の愛であり、いきさつの深い岩々を見て、

ひとりひとりの人間岩の尊さ、神様がそのように私たちを愛して、固い岩のような変わらない信仰の岩を立てるようにしてくださったことを悟るようにしてくださった。

 


「花の祝祭」「岩の祝祭」ともに、

誰も知らない、寂しい山奥の閉ざされた場所だったウォルミョンドンで、ひたすら聖三位を求めて祈りの条件を立てられ、

聖三位とのいきさつを作ってこられた、先生がいてこそ、初めて天が祝福してくださり、

私たちが、聖地の花々、聖地の岩々に込められたいきさつを悟って、私たちも同じように生きるように祝福してくださった、

摂理史だけの尊い天の愛と喜びを実感する祝祭となっている。



摂理の自然聖殿の美しい景観 
 <摂理の聖地 美しいウォルミョンドン自然聖殿>


摂理だけの行事、花の祝祭、岩の祝祭について 1


 

摂理では、2011年より、ウォルミョンドン自然聖殿で春には
「花の祝祭」、秋には「岩の祝祭」を開催している。

この祝祭に参加した人たちは、自然と人々を通しての神様、聖霊様、御子の聖三位の愛を一層悟り、恵みが満ちるように、それぞれ3週間程度の行事が祈りと真心をもって開催されている。

それぞれの行事はチョン・ミョンソク先生が写真や文章を通して細部まで真心を込めて行事について指示をされ、

その行事に祈りをもって参加した摂理の人々が、天の愛のいきさつを作り、聖三位の愛に感謝感激して生きることができるようにと、自然聖殿ならではの新しい次元の神様の行事を企画してくださった。



祝祭の期間は摂理人たちが、自然聖殿を行き巡りながら、それぞれの花々や岩々の神秘性と神様の愛のいきさつを知り、礼拝と祈りと讃美を捧げ、芸術によっても神様に壮大に栄光を帰する時間を持っている。

 

春に行なわれる、「花の祝祭」の「花」は「自然の花」と「人間、つまり人間花」を象徴した言葉であり、

「花の香り」すなわち、「自然の花の香り」と「摂理人たちの香り」がする祝祭としてくださった。つまり、自然の花が香りを放つように、神様が創造なさった人間も、聖三位の品性と行ないで神の香りを放ち、摂理の香りを放つことができるようにしてくださった。


4月は桜、5月はツツジを中心として多くの花々に囲まれる聖地ウォルミョンドンは、世界一美しい、自然の花々の香り、神様の愛の香り、神様の愛で変化した人々の美しい香りのする自然聖殿となっている。




 摂理の園・ウォルミョンドン(月明洞)自然聖殿
<摂理の園、ウォルミョンドン自然聖殿>

摂理(せつり)とは?

摂理とは、キリスト教福音宣教会(Christian Gospel Mission: CGM)の通称で、韓国発祥のキリスト教団体。

「すべてが神の配慮によって導かれている」という意味のキリスト教用語「摂理」が通称として使われている。




 

チョン・ミョソンソク牧師
      <摂理の創始者 チョン・ミョンソク牧師>


摂理 −キリスト教福音宣教会− の起源

摂理の創始者 チョン・ミョンソク(鄭明析)牧師は

1945年、大韓民国中部、忠清南道錦山郡珍山(チンサン)面ソンマンリ生まれ。

幼い頃から、貧しさと人生の空しさにぶつかり、人生の問題をただひたすらイエス・キリストに求めた。

毎日山に入っての祈りと聖書の探読、伝道の実践の生活に明け暮れた。 そのなかで、イエス・キリストを絶対的に愛し、

神様とイエス・キリストの永遠で変わらない愛、イエス・キリストの十字架の苦痛を負った心情の痛みを悟り、

誰よりもただ「ひたすら神様」「ひたすらイエス様」のために生きる決心を若い頃に固めるに至った。


20年に及ぶ信仰生活、修道生活のなかで、さまざまな貧しさの苦痛、自分を性格や行ないを直し、

天の喜ばれる自分にふさわしいように、自らを削って磨く練達を受けた。

無知の世界から逃れ、真実に生きる道を解き明かすためには、

ただひたすら聖書しかないという確信のもと、

聖書のなかに潜まれた数えきれない真理の御言葉や数々の聖書の比喩の意味を学んだ。

1966年、1968年の2度にわたりベトナム戦争に従軍し、戦場で毎日戦友が亡くなる中、

人生や戦争の絶望的空しさ、人間の愚かさ、絶対的状況の中でひたすら求めるべきなのは

神様とイエス・キリストであることを痛切に悟るに至った。

その後1978年までの切実で誰にも理解できないほどの祈りの生活、修道生活を経て、

イエス・キリストから宣教しなさいという啓示を受け、

1978年6月ソウルに上京し御言葉をのべ伝えるようになる。

宣教会としては、「神様の真理と愛を実践し、地球全てを真の平和の世界にする」という目的のもと、1982年に創設された。

御言葉で多くの若者たち、年長者たち、老若男女を問わず、命の救いを得て、群れをなす歴史が起こっている。

日本では1985年に福音が入り、各地に福音が広がり続けている。

チョン・ミョンソク先生が神様、イエス・キリストから受けてきた聖書の御言葉の真理と、
先生の言葉だけにとどまらない実践哲学は徐々に広まり、

現在では世界50カ国に福音が広がり、約20万人の会員が熱心な信仰生活を行っている。

摂理と宗教についてはこちら

 

ウォルミョンドン自然聖殿の大群衆
<摂理の自然聖殿・ウォルミョンドンに集う人々の群れ>


摂理 −キリスト教福音宣教会の概要

キリスト教福音宣教会(Christian Gospel Mission: CGM)は、1982年、韓国の鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師によって創立された。

プロテスタントのキリスト教会として、教会ひとつから始まったが、現在は世界50ヶ国に教会を持つ宣教会になった。

神様とイエス様の教えと愛を実践することによって、真に平和な世界の実現を目指している。

日本では「摂理」と呼ばれることもあるが、摂理という言葉は「すべてが神の配慮によって導かれている」という意味のキリスト教用語。

韓国での宣教が 広がるにつれて日本にも福音が入り、1990年前後から定期的に礼拝を守るようになった。

摂理はイエス・キリストを信じ、その愛と福音を伝えることをミッションとしている。

聖書を学び、祈りと讃美をささげ、日曜日の礼拝やリバイバル大会などの集会を行っている。

また、文化交流・ 国際交流活動を通じた青少年の育成や、社会福祉活動を通じた社会への貢献に取り組んでいる。

1999年には、グローバルな文化交流団体であるGACP(Global Association of Culture and Peace)を設立。

GACPは、イエス・キリストが説く、寛容・平和・隣人愛の精神に基づくグローバル・コミュニティの形成を目指して、

国・民族・言語・宗教の枠を超え、スポーツ・芸術などの多方面にわたる文化交流を行っている。

また、心身ともに健康な青少年の育成と、健全な社会づくりに貢献する能 力とリーダーシップの養成に力を入れている。

現在15ヶ国に支部があり、約50ヶ国の会員を有している。

2001年には、ボランティア活動を行うCGM奉仕団を設立。

イエス・キリストの隣人愛の精神を実践しようと、家庭・医療・社会全般にわたる様々な分野で積極的な奉仕活動を行っている。

自殺予防、施設慰問、無料診療、清掃活動、事故・災害発生時のボランティアなどがあげられる。

CGM奉仕団はその活動と奉仕の精神が認められ、様々な賞を受賞している。

日本においても各種ボランティア活動、国際文化交流、スポーツ交流大会などの活動が行われ、

多くの人がその愛、精神にふれ、活気に満ちる場になっている。

そして、主の再臨が近いと叫ばれてる現在、摂理史では聖霊を受けるための集会は讃美・御言葉・祈りの力がみなぎり、

一人一人が聖霊により生まれ変わり、大きく成長を遂げる歴史がおこっている。


 

摂理の創設者・鄭明析 牧師
    <チョン・ミョンソク牧師の礼拝での御言葉の姿>


摂理(キリスト教福音宣教会)の特色

創設者のチョン・ミョソンソク(鄭明析)牧師が20数年間におよぶお祈り、

伝道、聖書の探読を中心とした修道生活を通して得てきた御言葉を根本に、御言葉を徹底して学び、

神様とイエス・キリストが今の時代の人々に望む愛と心情を、愛の実践、

祈りの実践、生活の実践を通して体験し、学ぶことを重視している。


また非常に聖書を重要視し、聖書をよく読むことを奨励するとともに、

会員たちが聖書をよく読む団体であることも特色である。

さらに、すべてのものを通じて神様を讃美するという思いから、

説教以外に文学、美術、スポーツなど行うことから通常の宣教活動の他、文化芸術活動も行っている。

1999年には、グローバルな文化交流団体である

GACP(Global Association of Culture and Peace)が設立された。

GACPは、イエス・キリストが説く、
寛容・平和・隣人愛の精神に基づくグローバル・コミュニティの形成を目指して、

国・民族・言語・宗教の枠を超え、 スポーツ・芸術などの多方面にわたる文化交流を行っている。


また、心身ともに健康な青少年の育成と、健全な社会づくりに貢献する能力とリーダーシップの養成に力を入れている。

また毎年、鄭明析の故郷で宣教会の聖殿のある

忠清南道錦山郡のウォルミョンドン(月明洞)においてスポーツ大会や修練会、

国際文化交流などを行っている。ウォルミョンドン(月明洞)は定期的に一般開放もしている。

2002年より、韓国では全国規模の明るい笑顔キャンペーンを実施。

ワールドカップ前夜祭では摂理の芸術団がチアショーを公演。


その他禁煙・禁酒キャンペーン、塾暴力追放運動、麻薬撲滅運動、

ゴミ拾い環境保全運動、障害者文化祭、

アダルトサイト閲覧防止運動、リハビリ施設でのボランティア活動等、

老人障害者を対象とした医療ボランティア活動などの社会奉仕活動も行っている。

また、社交ダンス交流、スポーツや芸術の国際交流活動を行っている。

 

鄭明析牧師の説教中の姿
        <チョン・ミョンソク牧師の礼拝での説教の姿>


摂理の礼拝

摂理(キリスト教福音宣教会)で、毎週日曜日に行われる「主日礼拝」は、

信仰生活の核心として、また神様、御子イエス様に対して愛で備え、

霊と心と体を清めてお会いする時間として、 もっとも尊い時間となっている。

また礼拝において、気を引き締めて祈りによって神様、イエス様をお迎えしてこそ、

深い御言葉を受け取ることができることを徹底して教育を受けており、

伝えられる御言葉の次元は非常に高く、

心を空けて祈りと愛をもって、神様、御子イエス様に向かうなら、

御言葉を通して現れる神様、イエス様の愛、

御力と権能を深く悟り、自らを変化させる力と感動を受けることができる。

礼拝の準備の時間に歌う讃美は、人々の心を備えることを中心とするのではなく、

神様、イエス様の心を感動してさしあげることを中心として 真心をこめて捧げ、神様とイエス様が感動を受けてくださるのであれば、

そこに参加する人々の心も熱く変化するものであるということを学んでいる。

礼拝中の黙祷の時間は、ただ目を閉じて軽く祈るのではなく、

イエス様ともう一段階深く入って行く時間としてその価値を悟って捧げることが大事であり、

同じことをくどくど繰り返す浅い祈りではなく、

たとえ短い時間だとしても、深く切実に御子イエス様を求めながら祈ることが必要である。

礼拝で代表祈祷を捧げる者も一週間代表祈祷のために、

祈りと真心をもって準備すべきものであることを学び、

代表祈祷者の祈りに対しては、耳を傾け、

心を一つに合わせて祈ることが重要となっている。

説教者は心を空けて、祈りによって十分準備し、

神様、イエス様の愛と心情を深く受けて、

自らが伝える御言葉を通して 神様、イエス様が完全に働かれることを

切実に求めて伝えることとなるため、非常に次元の高い準備が求められるとともに、

その備えをして御言葉を伝える説教者を通して、神様、御子主が力強く恵み深く働いてくださる。

御言葉を聴くときは、神様、御子主から受ける御言葉の尊い価値をわかって、

気を引き締めて 宣布される御言葉の価値をわかって聞くこと、

御言葉を通して御子主が自分の心に働かれることであるから、

自分の考えを置いて、心を空けて聞くことが重要である。

また、ひたすら御言葉だけ考え、御言葉に没頭することが重要であり、

御言葉はイエス様の心情を受けること、

天の愛と御心を悟ること、自分にとっての命綱であるものとして、

礼拝の現場でイエス様がくださる感動と恵みを求めて

真剣勝負の場所であることを目指している。

 

鄭明析先生の祈り
      <チョン・ミョンソク牧師のお祈りの姿>


摂理で天に捧げるお祈り


摂理(キリスト教福音宣教会)の会員たちは、

明け方のお祈り会、礼拝前後のお祈り、聖霊集会でのお祈りなどの公的な集まりのお祈りの時間のほかに、

生活のなかで常にお祈りを捧げる生活を心掛ける。

それぞれがお祈りを神様、御子イエス様が聞いてくださることを実感するからこそ、ますます熱心なお祈りをする。

祈りは御子イエス様と対話をすることであり、 御子イエス様に会う時間として、

人を意識せずに祈り、はっきりとした精神で目を覚まして祈ることを学ぶ。

くどくど祈ることなく、短くてもはっきりとした精神で祈ること、

真心を込めて祈ることが重要となっている。

祈りは御子イエス様との愛を確認する時間であり、イエス様に愛を告白する時間であり、

神様、イエス様の心情を察して慰めて差し上げる時間であり、イエス様と縁を作る時間であり、

御子イエス様とのいきさつを作る時間であり、固く決心する時間であり、誓いを立てる時間であり、

心を空ける時間であり、心配、悩みをイエス様にゆだねる時間であり、

御子イエス様を心に受け入れる時間であり、

涙をもって悔い改める時間であり、聖霊を受ける時間であり、

精神一到する時間であり、深く霊界に入っていく時間である。

会員たちは、誰よりもお祈りの条件を立てきた

鄭明析(チョン・ミョンソク)先生をモデルとしてお祈りの生活を行うとともに、

今も誰よりも世界のためにお祈りをし続け、御言葉をのべ伝え続け、

また会員たちひとりひとりを愛して、切なるお祈りを続けている
チョン・ミョンソク先生のために 熱心に祈り続けている。

会員たちは多忙な生活のなか、明け方の祈りなどにおいて、

はっきり目を覚まして祈ることに しばしばもがくことがあるが、

もがきながらも主に近づいていくことが大切だということを学び、日々実践している。